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福岡地方裁判所小倉支部 昭和40年(わ)14号 判決 1966年2月28日

被告人 日野三千人 木村昌稔

主文

被告人両名はいずれも無罪。

理由

一  本件起訴状には

被告人日野は門司信用金庫小森江支店出納係、同木村は同金庫葛業支店出納係であるが、昭和三九年一〇月六日午後五時頃、北九州市門司区大里別院通二丁目所在の同金庫原町支店において同金庫職員氏家豊成始め一一名とともに同支店長中野利治に面談を求め拒否されたことに憤慨し

第一被告人日野は同支店食堂内及び洗面所前廊下において三回にわたり両手で同支店長の左手を掴んで後方に引張り以て暴行を加え

第二被告人木村は同支店洗面所前の廊下において二回にわたり両手で同支店長の胸部を押し以て暴行を加え

たものである。

と記載されている。

以上の起訴状記載によれば、被告人両名に対していずれも刑法所定の暴行罪の構成要件に該当する事実ありとして公訴の提起がなされたものであることが明らかである。

被告人両名および弁護人等は右事実が不存在であること、仮に右事実が存するとしても、超法規的違法阻却事由および正当防衛の要件が存するので違法性は阻却され、被告人両名はいずれも無罪であると主張する。

二  よつてまず起訴状記載の事実の存否について検討する。

被告人日野三千人、同木村昌稔の当公判廷における各供述、証人中野利治、同丸山修、同近藤伊都子、同中川紀美子、同小橋紀一、同氏家豊成の当公判廷における各供述および当裁判所の検証調書を綜合すると次の事実を認めることができる。

(一)  門司信用金庫(以下単に金庫という)労働組合(以下単に労組という)は昭和三七年四月一二目、同金庫従業員によつて結成されたが、同三八年二月二日、右組合の行動に批判的であつた組合員によつて第二組合(以下単に従組という)が結成され、それぞれ独自の立場で使用者側と団体交渉を行つており、現在、労組構成員は四〇名、従組構成員は九〇名であり、使用者側に協調的である従組組合員とそうでない労組組合員との間にとかくのあつれきも生じ、親密さを欠く結果になつていたものである。

門司信用金庫は六支店がおかれ、北九州市門司区大里別院通二丁目所在の同金庫原町支店は中野利治支店長の下に従業員は労組組合員丸山修、近藤伊都子、中川紀美子、富士孝子、広木行夫の五名および従組組合員一一名の計一六名からなり、右丸山修は同支店支店長代理で労組の副執行委員長であり、右近藤伊都子は労組原町支店支部の支部委員であつた。

(二)  同三九年一〇月二日、全国の金融機関において一斉にオリンピック記念銀貨の交換が行われることとなり、原町支店においても同日午前九時からこれを行うこととし、中野支店長の指揮のもとに、混雑に備えて、あらかじめ引換係、整理係、整理券配布係を決め、同年一〇月一日同支店長は同支店の従業員全員に、翌一〇月二日は早目に出勤するよう指示したが、右同日、午前八時五〇分頃になつても、右銀貨の保管責任者である同支店の出納係中川紀美子が出勤していなかつたため、同支店長は、自ら出納係のキヤビネツトから右銀貨を取り出し、枚数を数えた後、これを引換係に手渡し、もつて出納係に無断で現金を取扱つた。

次いで、同月三日、四日の両日、同支店労組員が一泊旅行をしたが、従来、従組員が一泊旅行に出発するときは同支店長から、同支店の現金を集めに来る富士銀行に対し、早目に来てくれるよう手配を依頼し、便宜をはかつてやつているにもかかわらず、その際は何等これをしてやらなかつたために、出発が遅れる結果になつた。

(三)  右事実があつたため、前記丸山修を除く同支店労組員四名は、憤慨して同月五日午後五時過から同支店長に右事実について抗議するため、同支店長と職場交渉をもつたが、その際、同支店長が、支店長は場合により出納の現金を取扱う権限があること、労組員と従組員との差別待遇を意識的にやつたことはなく、そりように感ずるのは労組員のヒガミであること、又出納の現金取扱いと関連して、現在、労組によつて不当解雇の撤回運動が続けられている土井組合書記(元労組執行委員)の現金使込み事件が真実であるかのごとき趣旨の各発言をなしたこと、更にその応答の仕方、態度が横暴であつたことから労組員四名の憤慨を買つた。

(四)  そこで右中川紀美子は同日ただちに労組執行部に電話で右の事実を連絡し、これにもとづき、同執行委員会は、右同日右事実を討議した結果、支店長の現金取扱いは出納係職員に責任を転嫁されるおそれがあつて、従業員の労働条件に関係し、差別待遇は組合員、特に労組員の団結権の侵害であり、土井書記に関する発言は不穏当であるとして、労組として同支店長の右発言内容の確認と善処方を要求するため同月六日に同支店長と団体交渉を行うことを決めた。

(五)  同月六日、午後五時頃、労組執行部氏家委員長、小橋、丸山両副委員長、同金庫小森江支店出納係で書記長である被告人日野、同金庫葛業支店出納係で執行委員代理である被告人木村、村田、宇津井、山本各執行委員、土井書記は各々同金庫原町支店に赴き、同支店一階営業室裏の食堂内において、中央に備付けてある机をはさんで椅子にこしかけ、あるいは立ちながら前記近藤、中川とともに待機し、同時刻頃丸山、被告人木村がこもごも営業室に行き、それぞれ中野支店長に対し、「昨日のあなたの発言の内容について組合が話しあいたいといつてきているから会つてくれ」と申し入れたところ、同支店長は「そんな必要はない」とこれを拒絶し、間もなく同人はそのまま帰宅すべく、営業室から食堂に赴き、同所の前記机の上に置いてあつた同人のカバンを、机の前の椅子に坐つていた村田、被告人日野の肩ごしに取りあげ、そのまま同所の裏出入口廊下に通ずるドアに向つて歩きはじめたところ、被告人日野、山本がこもごも「何故帰るのか。昨日あなたがいつたことが重大なので、わざわざ来たのだから当然話に応ずべきではないですか」と声をかけ、土井書記が「私が使い込みをしたといつたそうだが、それでは名誉毀損じやないか」と詰寄り、氏家、小橋が、昨日の発言内容が真実か否か聞きたいと申し入れたところ、中野支店長は荒々しく「使い込みをしたなどといつていない。」「現金の取扱いは支店長もできる」といい返し、「もう帰る」といいながら、前記食堂のドアの前まで歩き、そこで左手にカバンを持ち右手でドアのノブに手をかけようとしたため被告人両名は憤激し、

(1)  被告人日野は即時、同所において「言い放しで帰るのか。それでも支店長か」といいながら同支店長の帰宅を制止しようとして左手を同支店長の左手の上腕部の内側に差入れて掴み、右手で同支店長の左手の関節部分を握りおさえて引きとめ、支店長が「離せ」といつてふりほどき、再び右同様の方法でドアをあけようとしてノブに手をかけると右同様の方法で更にひきとめ、再びこれをふりほどいてドアをあけ、同所から湯沸場横の通路を通り裏出入口の通路に至つた同支店長に対し、氏家、山本が「二、三人で営業室の方で話そう。」という声に応じて、右手を同支店長の右手上腕部にかけ、左手を同支店長の右手の関節部にかけ、おさえて引きとめ

(2)  被告人木村は、即時、同所において同支店長の前方にたちふさがり、その帰宅を制止するため、両手掌で同支店長の胸部を二度にわたつて押し

たものである。

以上の被告人日野、同木村の判示(五)(1) (2) の各所為は何れも中野支店長に対する物理的な有形力の行使と認められ、刑法所定の暴行の構成要件に該当するものであるからこれは形式的には違法性の存在を推認せしめるものである。

三  ところで行為の違法性は、これを実質的に理解すべきで、それは法全体すなわち全法律秩序の見地において行為が国家的に承認されるところの社会生活の目的に違反することであると解すべきであり、その有無は行為の動機、目的行為により保護しようとする法益の程度、性質行為による法益侵害の程度、性質等を比較考量し、社会共同生活の秩序と社会正義の理念の上に立つてその行為が許さるべきものであるか否かを検討して、判断すべきであり、許さるべき場合にあつては違法性存在の推認を破り、犯罪の成立を阻却するものである。

四  以上の見地から、以下本件について問題となる諸点を考察する。

(一)  本件団体交渉申入れの適法性について

(1)  被告人日野、同木村は労組執行部の一員であり、近藤伊都子、中川紀美子は右労組原町支店支部の一員であり、中野利治は同金庫原町支店の支店長であり、本件における団体交渉の申入れは右労組執行部全員および右労組支部組合員から中野支店長に対してなされたものであるが、一般に、使用者側の団体交渉の担当者となるものは、使用者(法人の場合はその代表者)またはその団体の代表者、或はこれらのものを代理し、当該団体交渉の目的たる事項につき管理処分の権限を有するものであるというべきところ本件の場合において中野支店長は支店に関するかぎり金庫の窓口といえる立場にあるのであるから、自ら管理、処分できる事項については勿論のこと、権限を超える事項についても金庫本部と連絡するなどして、一応誠意を尽して交渉に当り、組合の意向も充分尊重してその意向を金庫に具申して善処方を依頼すべきでありこれは支店の労働者にとつて必要であり、その意味と程度において少くとも組合の団体交渉の申入れに応ずべき義務がある。

労働組合は労働者が主体となつて自主的に労働条件の維持改善その他経済的地位の向上をはかることを主たる目的とする団体であり、その組織労働者の一部、例えば支部組合員に特有な問題について当該支部に対応する支店長と団体交渉を持つことに何等制限はなく、その権利を有する。

組合支部の組織も、労働者の団結権について制限が加えられない以上、自ら支部労働者の労働条件の維持改善、職場組織に関する事項等について支店長と団体交渉をもつことに何等、制限はなく、その権利を有する。

(2)  次いで、本件団体交渉事項についてみると、前記支店長の差別待遇に関する件は支店長が自ら管理処分しうる事項というべきであるし、前記支店長の出納現金取扱の件は、「門司信用金庫出納取扱細則」によれば支店長もこれを取扱うことができる趣旨であるから組合からこれを禁止するよう要求されたとしても支店長個人ではいかんともしがたい問題であつて、それは管理処分する権限外の問題であるけれども前記のごとく支店長は右細則の改正その他右取扱いの善処方を本部に具申することは可能である。

又支店長が支店の労働者を差別待遇するならば、それは組合組織、労働者の団結権に関する問題となり、出納係の現金を支店長が取扱うことはその結果出納事故が生ずれば出納係員の責任問題が生じ、当該係員が不利益な処分を受ける可能性も生ずることから労働者の労働条件に関する問題となるので、何れも組合として支店長に各事実の確認方と善処方を求めるについて相当な事柄といふことができる。

(3)  加え、前掲各証拠によれば従来から門司信用金庫原町支店においては、中野支店長と組合執行部員ないし組合支部員との間に、原町支店の職場の労働条件、人事問題等について、しばしば団体交渉が持たれている。即ち、昭和三七年九月に従来の仮店舗から現在の新店舗に移転したとき時間外手当の支給について、同年一一月組合機関紙の配付の問題について、同三八年二月同支店食堂の使用方法について、同年八月同支店のブラインド備付について、同三九年二月職場の配置換についてそれぞれ団体交渉がもたれており、しかも右団体交渉はいずれも特別の方式を定めず、適宜なされており、中野支店長は異議なくこれに応じていたものである。

以下各点を併せ検討すると前記昭和三九年一〇月六日なされた本件団体交渉の申入れは適法なものと解すべきである。

(二)  右申入れに対する中野支店長の行動について 中野支店長は前記認定のとおり、右申れに対し終始「必要はない」と一切団体交渉に応ずる態度を示さなかつた。途中若干の言葉のやりとりはあつたが、何れも一方的意見の開陳にすぎないもので、これを目して団体交渉に応じたものとは到底解し得ないところである。

本件団体交渉の申入れの方法が、これまでの団体交渉の慣行からややはずれ、労組執行部全員と支部組合員二名が加つた多数の組合員からなされたことから相当にその場の空気は緊張していたことは前掲証拠からこれを認めることができる。

尤も団体交渉は労働者の団体が労働の自由と労働者の生存とを自主的に確保するため、その団結力を背景として行う平和的手段による交渉である。而してその背景となる団結力とは争議による裏づけを持ちながら、自己の主張ないし要求の正当性の確保に基き、その正当性を使用者に感得せしめ、その主張を貫こうとする規範的な社会的威力であつてこれは憲法の保障するところである。したがつて労働者がその主張を貫き又はその要求を拒否する使用者に対し非難を加えるため、団結の威力を示すことは許された行為である。しかし、この団結的示威も威嚇の力ではないから一般的に社会通念上何人も首肯しうるような平和的かつ秩序ある方法で行われなければならないことはいうまでもない。団結的威力がそれに当然付随する心理的威圧の程度に止まるうちはよいが相手方の人格的自由を否認し暴言をほしいままにして、その生命、身体に危虞を感ぜしめるようになつたときは不当な勢威として到底是認されないものである。この観点から本件団体交渉の申入れを考察するならばいまだ不当な勢威とは到底解しえないものであつて、ただ中野支店長に対して心理的な威圧感を覚えしめたに止るものと解するのが相当である。

しかも、氏家、山本両執行委員が「二、三人で話そう」と更に平和的方法による団体交渉を提案したにもかかわらず、これをも拒否していることが認められる。

仮りに中野支店長は右のごとく心理的威圧感が強く、ために到底団体交渉に応じられないと考えたならば右の氏家、山本の提案に応ずるなり、他の方策を考えるなりして何等かの方法で前記交渉に応ずる態度を示すべきであつたと考える。

以上の点から中野支店長の行動は団体交渉に応ずる義務をつくさなかつたものと認めるのが相当である。

(三)  被告人日野、同木村が本件の暴行に及んだ動機について

前記認定のとおり被告人両名は労組執行委員として中野支店長と団体交渉をもつという目的を有していたものであり、両名は現場において終始この目的に向つて行動していることを認めることができる。

そしてこの目的が中野支店長の帰宅という事実によつて遂に実現不能になることをおそれ、被告人日野は同支店長の腕をつかんでひきとめ、被告人木村は胸を押したものであるから直接の動機は交渉に応じて貰うために中野支店長の帰宅を制止しようとした点にある。

被告人両名は中野支店長に対し、報復的に害悪を加える意思で本件暴行を加えたものではなく、偶発的、瞬間的に単に交渉に応じて貰うために帰宅を制止しようとして手を下したものであつてその背後にある団体交渉権の確保という目的に照すときは被告人両名の社会的危険性はその動機に照して非常に軽いものと認められる。

(四)  中野利治に対する法益侵害の程度、性質について

右(三)記載のとおり、被告人両名の動機自体からは強度の暴行を加える必要のないものであり、しかも本件は偶発的瞬間的出来事であるうえに、前掲各証拠によれば行為自体についても、被告人日野は中野支店長から再度にわたり「離せ」といわれて、その度毎に簡単にかけた手をはなしており、被告人日野の中野支店長に対する三回にわたる暴行の姿勢は自己と相手との距離が非常に近接していて、中野支店長が引張られて後退する余地はほとんどないことが認められ、引きとめる力もごく軽いものと考えられること、しかも、被告人両名が中野支店長に暴行を加えている前後に、食堂内部には同金庫原町支店の用務員であり、従組員である井上ひさよが居合せ、その後、裏出入口通路を同支店の従組員である山元精二、村上多恵子、古谷朋子、松原博美が通りかかつているけれども、中野支店長の救出や、警察への通報、同金庫本部への通報をなんらなしていないこと、同支店長は右井上に対し「皆が帰らせんようにしているから本部に電話して下さい」と言い、前記小橋や被告人日野に対して言い返すなど自己の意思を強くかつ明確に主張していることが認められるのであつて、暴行によつてなす術を失つた状況にはなかつたものであることを認めることができ、右の各事実を綜合すれば、被告人日野、同木村の中野支店長に対する法益侵害の程度、性質は極く軽いものであつたと認められる。

五  以上本件の被告人日野、同木村の各暴行によつて「中野支店長の生命身体の自由に対する法益の侵害」のあつたことはこれを認めることができるが、その侵害の程度は極く軽微なものであり、又同支店長が被告人日野、同木村が属する労組の団体交渉の申入れを拒否することによつて労働者の団体交渉権を侵害したこと、即ち「労働者の法益の侵害」のあつたこと、更に被告人両名の社会的危険性は微弱であることをそれぞれ認めることができ、これらの各点を比較、考慮し被告人日野、同木村の各外形的所為を社会共同生活の秘序と社会正義の理念の上にたつて法律的に処罰すべきか否かを考えれば、右各所為は反社会性が極めて軽微で、違法性を欠くに等しく、遂に違法性を阻却する結果となり、犯罪を構成しないものと解すべきである。

よつて、被告人日野、同木村に対し、其余の主張を判断するまでもなく、それぞれ刑事訴訟法三三六条により無罪の言渡しをすることとし主文のとおり判決する。

(裁判官 白井美則 井上武次 大川勇)

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